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夢を編むその7  親和力
夢を編む その7      
                  
                親和力 (1)


 今年の冬は寒かった。
 久しぶりに大根が凍るのを心配したほど.それに、何故かやけに長くも感じた。
それでも、昨年、店に戸を入れたので、まだましであったが、じわじわと冷える足元、大根の心配もさることながら足踏みしながらの野菜売りは結構つらい。
 でも、やがて春は来るものだ。
東大寺のお水取りが終わると水が緩み、山から融風と呼ばれる風がおりてくる。
 そのやわらかい風はお水取り(修二会)の錬行衆(二月堂にこもる)の声明とほら貝と共に現れる神々の使徒かもしれない。
 融風、あらゆるものにあまねく吹き渡る風と言われ春一番の温かい風である。
さらに、使徒である融風の役割はつづく。
二月堂十一面観音菩薩に集った諸国諸々の神々が天空を飛翔する際の風のジュータンでもある。
木や鳥や川や田んぼや人々に春を告げながら巡るのである。
そして、言い伝えどうり奈良の地に春が訪れる。
 
 壁の絵も差し替えた。
 水上勉の大根からイサムのココペリにした。
イサムが亡くなって一年、散歩好きだったからさぞかし春の到来を喜んでいることだろう。
風のジュータンに跨ってあちこち散歩してるかもしれない。

昨年、 それぞれが持ち寄ったイサムの絵を飾って誕生日の四月七日をはさんで回顧展をしてからもう一年がたった。さて、今年はなどと思っていると和子さんから電話がきた。
 「伏原さんが四月初めはイサムのために画廊を空けてあるらしい、
 毎年やろうって言ったの誰やった・・・
 去年ほどではないけどなにかしようかと。
 とにかくちょっと考えておいて」
という電話であった。
妙なものだ、まるでイサムが行き来して耳打ちしたのではと思うほど偶然の一致だ。
いかにもイサムらしいと言えばイサムらしいが、ちゃんと舞台はできていてあとはイサムを「呼ぶ」だけみたいな無計画のなかの段取りはきっと、誰よりもイサム自身が楽しみにしていることなんだと、思った。どこへ行っても、オンザロードのイサムには居場所は必ずあるもんだ。
 やはり、生きてる。絵の中に生きているんだと本気で思った。


 命日をめいにちと読まずにいのちの日と読んでみる
 すると
 瑞々しい青の光が心に浮かぶ
 いのちという不可思議な光

 産は生  生はいのち  いのちは愛  
 死は回帰  回帰は産(うぶ)  産はいのち
 いのちはあなた  あなたは光  光りはわたし

 命日をめいにちと読まずにいにちの日と読んでみる
 すると
 瑞々しい青の光が心に浮かぶ
 いのちという不可思議な光

「追悼とか回顧とか一周忌みたいなのは止そうよ」
「イサムの頭文字をとって、〈い〉のち・〈さ〉く・〈む〉らってどう」
和子さんはそう続け。 
「小さくもなく、大きくもない
声が届き、姿が見え、少しの間違えはすぐにでも直せ、手を繋げば村を守れる。
そんな村を思って今年のイサム展を開きたい」と和子さん。

 イ のち サ く ム ら

今年のイサム誕生祭はこんな風に決まっていった。

  祭りはいい。まつりとは人がまつろい(集まり)、人がまつらう(交わる)時である。
イサムにはぴったりだ。多分、イサムのことだから人ばかりではなさそうだが・・。
 また、会場となる場がいい。百年あまりの時のひだを持つ、太い梁と白壁の堺町画廊。
京都の町家の静かな佇まいに鮮やかな岩絵の具の金のへびが現れる光景はまさしく、
秋野亥左牟そのものようだ。
 そして、イサムは一貫して象徴とか権威とかカリスマ性を嫌った。
だから、東大寺のお坊さんがどんなにほら貝を吹いてもやって来そうにない。
そんな時は多分、大海原の流木か幻の山で妖精たちに混ざって笛を吹いていることでしょう。

「イサムは死んだとはどうしても思えないよ。」
和子さんは何度も言う。
「お金は残さなかったけど、絵がある
その絵のなかには私が入っていける場所がちゃんとあるの」と。

 イサムの世界観、アニミズムという自然の摂理。そして、その一切のプリミティブの精神を注ぎ込んだイサムの絵はこのおぞましい時代に生きる私達へのシグナル。
立ち止まり、戸惑う我と我らの時代。
在野と辺境を旅し、その筆先が印したイサムの絵のなかに私達の明日への「通路」があるように思うのは僕だけではないだろう。
 

 三十年前に山尾三省さんと植えたぶどうの木が新芽をつけた。
三省さんが亡くなる一年前に頂いた「親和力」という詩集が頭をよぎった。
詩集のあとがきにこう書いてある。
 「親和力」というタイトルは、ゲーテの同名の小説をそのまま使用したのですが、原題を直訳すれば、「選ばされた血脈性」という意味になります。
 世界に向き合ってる私達が、その森羅万象の中から自分の愛(生き方)の対象となるなにものかに出遭い、それを選びとるのは、実は自分の意思を超えた摂理によるものだと、ゲーテは考えたのです。私達がなにかの対象に、まるで同じ血脈のものであるかのように愛を感じさせられてしまう、その不可思議な力を、「選ばされた血脈性」、つまり親和力と呼びました・・

                親和力

ミヤマカラスアゲハは アザミの花が好きだ

アザミの花は ミヤマカラスアゲハが好きだ

黒いミヤマカラスアゲハが 紅いアザミの花にとまって

その蜜をとっている姿は

それゆえ

この世のものとも 思えないほどに 美しい

ぼく達がアザミの花で あれば

ミヤマカラスアゲハは 必ずやってくるし

ぼく達が ミヤマカラスアゲハであれば

アザミの花は 必ずそこに咲いている

世界と ぼく達の人生との この必然の関係を

親和力ー選ばされた血脈性ーと呼ぶ


                      山尾三省



つづく     
                                    高橋秀夫   2013.4.20
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by hidesannno | 2013-04-29 22:20
  

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