風の受胎
風の受胎

昔、昔、琉球にアマミクという神があった。
島をつくり、土石草木をつくったが、
「人がおらねば寂しきものよ。いまこそ地上に男女を乞い給いけり」
というて、ひたすら天の神に祈ったそうな。

やがて、地上に男と女現れた。
男は女をかわいいと思い、女は男をいとおしく思ったが、
いまだ契るを知らず、ともに暮らして月日を重ねた。

あるとき、男と女は海辺に出て、
風に吹かれて身をさらしていたところ、
風をはらんで、
たちどころに女は身ごもった。
三男二女を産んだそうな。

後に、長男は国の主の初めとなり、次男は諸侯、三男は百姓の初めとなった。
長女は王に仕えし臣女の初めとなり、次女は村々の祭りのノロとなったそうな。



 アイヌのコタンではこんな話がある。

 昔、女ばかりで、男という者の一人も居ない、メノコムシリという島国があった。
メノコムシリの女たちは、ピタカ(西風)の吹く日、海辺の岬に立って帯を解き、腹をさらした。
 「ピカタよ、われにメノコを与えたまえ}
といって、メノコ(子供)の誕生を願ったそうな。
 もし、まちがって男の子を生んだ時には、メノコムシリの神聖を犯すといい、その子の成長を待って、争ってリンガを食い 切り殺した。
 この島のメノコ(女)のヨニには、みな鋭い歯がはえており、その下のほうの歯で、男の子のリンガを食い切った。
 こうして、いつも完全なメノココタンになりきることが島の掟であったという。



 八丈にはまた、こういう伝説がある。
  
 八丈は女の島といわれl、青ヶ島は男の島といわれた。
二つの島をはさみ、黒瀬川と呼ばれる荒塩潮があった。この潮に船を乗り入れると、瞬く間に
数十里も流され、二度と生きては帰れぬといわれた。
 その頃、男と女が一つの島に住むと、海神のたたりがあると信じていたそうな。

 そこで女たちは、海岸に出ると前を広げ、南風(風)をはらんで身ごもった。
女が生まれれば島に残し、男の子が生まれれば、海に放ち青ヶ島に送った。

 その後、年に一度、南風の吹く日になると、海神のお許しがあったというて、八丈の女の島に、男の島からはるばる船で渡ってきた。その時、八丈の女たちはめいめいのぞうりを海辺に並べ、男たちを待った。そして、自分のぞうりをはいた男を夫と定めて、家に連れ帰り、一夜の契りを結んだ。・

   沖の青島 殿御の島よ
   南風そよそよ 女護が島

   南風だよ
   みな出ておじゃれ
   迎えぞうりの紅はなお

 こうして女たちは、ことしも風が吹いて、とく渡り来よかしと、ひたすら南風を待ったそうな。


 ある年のことだった。
 伊豆の大島に流された男が、力に任せ、またたくうちにいずの島々を従えた。
三宅島に来たとき、男は島長(しまおさ)を呼び、
 「これから南にも島があるのか」
と尋ねた。
 「南の方は潮の流れが速くおじゃるので、だれもがこわがり、船を出したことはおじゃらず、島があるやら ないやらわかり申さぬ」
と答えた。
その時男の目に、南に飛ぶ鳥のむれが見えた。男はやにわに鳥を指差し、
 「あれは鳥ではないか。南の方に島がないとすれば、ねぐらを求めて行くはずがない」
たけだけしく言い放つと、船を海に降ろさせ、幾人かを従えて女護が島に舟を進めた。

 黒瀬川の激流を乗り切り、女護が島に着くと、砂浜に美しい紅はなおのぞうりが並んでいる。
ぞうりは、海から上がった人がはけるように陸に向けて並べてあった。

 「ここは確か、女護が島にて尾JAL。海から来た男がこのぞうりをはくと、ぞうりの持ち主の女が、その男を夫にするならわしと聞いたことがおじゃる」
三宅島の船頭のひとりがいった。

 一行が島の奥へ歩いて行くと、草ぶきの屋根があり、黒髪を背中になびかした色白の女たちが、歌をうたい、機を織っていた。

  きぬの竹でもはっちょうにませな
  はっちょうしかた 弓こわはっちょう
  オオサひさめよ、ひさめよ。
  オオサひさめ。


 機を織る手に合わせて歌っていた女たちの中に、ひときわ美しいニヨコ(女)がいた。
ニヨコは男を見ると驚いたが、しだいになれて口をきいた。

 やがて、男とニヨコは愛し合うようになったが、男はこの島の言い伝えを聞くなり、カラカラと笑い、
 「わしはこの島の迷信を打ち破るためにもおまえと夫婦の契りを結びたい。
 どうか賛成してくれぬか」と言った。
ニヨコはこれを聞くと顔を赤らめたが、うなずいた。

 男はニヨコを妻とし、一年あまりを住み、ふたりの男の子が生まれたそうな。

 仲むつまじいふたりを見て。
 「昔から言い伝えはうそ話でおじゃた。なんのたたりもなっけに女だけで住むのはばかげたことでおじゃた」
と言って、男と女がともに住んでもたたりがないことを喜んだ。

 それから女護が島では、男と女が一緒に住むようになったという。



 紀伊半島の北端にある加太の浦の漁村では、後世に至るまで、風にはらんで子が生まれるという伝承が残っている。
 加太の浦の男たちは漁に出ては半年から一年も帰らぬことが多かった。
村に残った女たちは岬に立ち、子が授かるようにとこぞって風に向かい、胸を広げ、腹を出した。

 和歌山県海草郡加太町にある加太神社には、自然石のリンガが安産の祈願として祀ってあり、
悲願女たちの捧げる野の花が飾られているという。
 子宝を願う女たちは、神社の屋敷からひさかに茶碗を盗んできたりする。そのとき、茶碗を右のたもとに隠して帰れば男の子、左のたもとに隠せば女の子が生まれるといわれた。
 今でも、加太の岬では、花の風媒のように、海からの風によって子がさずかると語り伝えているという。

                       
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# by hidesannno | 2012-02-16 21:22
ぞうきんしぼり
      ぞうきんしぼり

静かな朝に
ぞうきんを洗う
ただそれだけのことであるが
その時すでに
こころはこころとして
身は身として
わたくしとなる

静かな夜に
ぞうきんをしぼる
ただそれだけのことであるが
その時すでに
こころはこころとして
身は身として
わたくしとなる

一日の終わりに
ぞうきんをしぼる
ただそれだけのことであるが
その時すでに
こころはぞうきんとして
身はぞうきんとして
わたくしになる

一日の終わりに
考えることも
思い残すことも
なく
無心にぞうきんをしぼる
ただそれだけのことであるが
それはわたくしを
洗い
しぼり
静かに拭くことである

          2011・212 高橋秀夫
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# by hidesannno | 2012-02-16 21:20
るこう草
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るこう草が咲いた

 今年もるこう草が咲いた。


 星のかたちをした赤い花だ。
ぶどうの蔓や時計草を足がかりに空に向かうようにその蔓をのばし、小さな葉陰もこしらえる。お店を緑色で縁取り、カンカン照りの夏日を少し和らげてくれた。
セミの鳴く夏の朝が静かになり、夕暮れにこおろぎの声を聞く頃、その小さな蔓に赤い花が咲く。
 朝、咲いて昼には閉じてしまう一日草。決していっせいには咲かない。一つ、二つと咲く。
小さい花だが鮮やかな赤色であるから、見つけるより先に目が奪われる。まるで見られているのは自分のようでさえある。
 これから、しばらくの間咲いた花を一つ、二つと数えるのが楽しみである。



           新るこう草           (2,010年加筆、修正) 

     るこう草の花が咲いた
     ぶどうのつるの樹勢が終わり
     大きな葉っぱが枯れてはだかの枝
     その枝に絡むように、蔓は小さな扇状の葉を抱え、するすると伸びている
     がんばれ, なんて声をかけたくなる小さな花     
    
     るこう草の花が咲いた
     空をめざす小さなつるは てんとう虫の道
     てんとう虫は登る
     トコトコ トコトコ
     緑のはしごを登る
     つるの先までたどりつくと飛来する
     決して途中では飛ばない
     てんとう虫は天道虫
     るこう草は星の花
     遠い空をめざす旅びと

     るこう草の花が咲いた
     夏の終わりにつぼみをつける
     惜しむようにつける
     いち、にの、さん
     てんとう虫が飛んだ
     ゆらりとつる、ゆらりとつぼみ
     道しるべのるこう草は星の花をはらむ

     るこう草の花が咲いた
     赤い星のカタチ
     いちじるしい赤 深々と赤い
     イノチのハナ
     小さな扇の葉に腰掛けるように
     ひとつ ふたつと咲いた   
     摘んだりしたら泣き出しそうな赤い花
    
     るこう草の花が咲いた
     小さな緑色のはしごをお供にして
     星のカタチをした赤い花が咲いた
     摘んだりしたら泣きそうな愛おしい赤い花

     るこう草の花が咲いた
     ぼくのココロにるこう草の花が咲いた
     あなたのココロにるこう草の花が咲いた
     僕のココロが登る
     てんとう虫と登る
     ぼくのココロがまた登る
     あなたを登る
     あなたと登る
     星の花束を抱えトコトコ登る

     るこう草の花が咲いた
     あなたとぼくの間にるこう草が咲いた
     赤い星のカタチをした花
     夢のように咲く
     一日草
     きのうのお花はぼくの花
     けさののお花はあなたのお花 
     あしたのお花はわたしたち
     そのあと咲くのはだれの花     
 。

                     1998年  高橋秀夫 (2,010年修正版)
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# by hidesannno | 2012-02-16 19:23
秋野亥左牟~果てしない旅
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果てしない旅~イサム オン・ザ・ロード       高橋秀夫(随筆家)

 野火の煙が平たい田んぼにふたつみっつと上っていた。
稲刈りが済んだ田んぼには馬のようにみえる稲積が雲みたいな野火の煙の中できらりと時より光っている。

 ガタン、シュウーとその煙か靄の中にエメラルド色のバスが止まった。
あたりはさらに白いけむりか靄かぼっーと広がっている。
すると、どこから現れたのか背の高い、長髪の男が吸い込まれるようにそのバスに消えた。
 
 しばらく、煌々とまぶしいほどの光の帯が虹のように広がり、あたりは輝いていた。
エメラルド色のバスはやわらかい生き物のように男を迎い入れた。
 やがて、ヒューと発車の合図がしたかと思うとそのまま宙に浮き上がった。

 そして、ガタン、シュウーと白い靄をかき消すようにエメラルド色のバスは動き始めた。

僕は前にいた女に尋ねた。
 「あれは誰だい」
女は振り返りもしないでこうつぶやいた。
 「イサムだよ。秋野イサム。また、出かけちゃたよ。」
と、女はにこりとしながら振り向いた。
 
 すると、バスも靄もすっーと消えて、また、稲積と野火の田んぼが女の後ろに広がっていた。
 
2011年11月23日秋野亥左牟76歳の旅たち。

 秋野亥左牟は絵描き。10年単位で一冊の絵本を描く何とも希有な男であった。何故そんなに時間をかけるのか、不思議であった。彼と初めて会ったのはいまから20年ほど前である。沖縄の小浜島から広島に移ってきた時で、仲間うちではよく知られていてインド、カナダと16年も旅してきた男であると。
この時、一冊の絵本にそれだけ時間をかけるのかがわかった。彼の旅はちょっとした旅行とは全く違う。
その場所に住んでしまうのだ。3年、4年とそこでその地に暮らし、絵を描く。だから、時間がかかるのである。
 彼の行き先は近代都市ではない、アニミズムの精神文化を今でもこころの糧にして暮す地にその足は向かう。そこで、彼が気づくことはわたし達の現在の生活の様がいかに人間の都合で築かれたことであるという、その歴史である。かれの残した旅の絵巻にはおびただしい人間のエゴとそれに抵抗しながら自然の一部であるとわきまえてくらす美しい大地と生き物が相関図のように描かれている。彼はその地でじっと自分のありようを探し、失くした尊い生活文化を見つめ苦悩した図でもある。この彼,イサムの旅と彼、イサムの残した絵は貴重なもうひとつの歴史書である。
 残念なのは彼の故郷である「ニッポン」が描かれず仕舞いであったことだ。
 また、以前出版され絶版になっていた「イサム・オン・ザロード」が再編集されてこの春、梨の木舎から新たに出版されます。イサムの貴重な自叙伝でもある「イサム・オンザ・ロード」が多くの心ある方々と次代の若者に読まれることは実にうれしいことである。
 さらに、この春(4月3日~4月8日)京都の堺町画廊で秋野亥左牟生誕を記念して「イサムオンザロード~おれはここを歩く」の催しが予定されています。(くわしくは別記)
 秋野亥左牟をあの世から呼び、歌を、笛を鳴らし酒を飲みましょうか。


 僕は女に促されて石畳の道を登った。
古い農家が現れた。彼の家である。
長い時間たたずむ家の中に岩絵の具の鮮やかな赤や緑が目に飛び込んできた。
 振り向くとガラス戸にエネラルド色のバスが稲積の向こうに消えていった。
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# by hidesannno | 2012-02-14 23:06
  

随筆と詩歌
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