夢を編む その1 「三省さんの木」①
                  夢を編む その1 ( なまえのない新聞原稿)2012.4.16

                  「三省さんの木」

 {手に持てるくらいの荷物と歩くくらいのはやさで暮す}
 「いいですね」と山尾三省さんが微笑みながら、その看板を店の一番目立つところにかけた。
 今から31年前のことである。

 その時、友人からもらったぶどうの苗も植えることにした。
街中の住宅街にある店なので、花壇も狭くなかなか植える格好の場所が決まらない。
 「さて」と苗を抱えながらあたりを見回す。
道の向こうには山桜の古木が道を覆うようにきらきらと青葉を繁らせている。
まるで、優しい老人が新参者の私たちの挙動を見守るように。

 その道はけっこう急勾配の坂になっていて、その坂道の曲がり角にこの店はある。
石垣の上に店を囲むようにわずかな花壇があり、石垣の割れ目からもから草がひょっこり顔を出すように生えている。

「草までも美味しそう』とお客さんが嬉しそうに店に入っていった。

ここは無農薬の土の付いた野菜を売っている店だ。

その石垣のあたりが唯一の土のあるところだが、そこにはツゲの木がほどよく植わっていて、間にはストーブ用の薪がどんっと積んである。
入り口近くのスペースは畑に置いてある唐箕と田車を置こうと確保してあるところだ。
僕たちはさらに、あたりをみまわした、それでも見つからない。
やれやれと一服することにした。

 「ホッー」と、うぐいすかと見上げるとそれは、満面くしゃくしゃにした三省さんが指さしながらにこにこして叫んだ声だった。
そこは唐箕とツゲの木の間のわずかな空間だが、陽がほどよくさして苗がちょうど植えられる位の場所であった。
 「ここがいい」と三省さんはにっこり笑いながら穴を掘り始めた。

 空はどこまでも高く、目に入る木々は新緑に揺らいでいる。
足元には若草色のつゆ草や草花が無機質な町の道をやさしく縁取っている。
 気持ちいい陽ざしと風がコンクリートジャングルの町の道をやわらかくしているように感じる。

楽しそうに学校帰りの子供たちが道端の小さな花をしゃがんで摘んでいる。
「道草・・か」と三省さんと顔を見合わせた。

 それからは、そのぶどうの木を三省さんの木と呼ぶように決めた。
                                                        
そのぶどうの木は今でも店の横にある。
31年あまりの僕たちの姿を見守るように立ち続けている。
株元は古木のようににぶく光り、季節を正確に伝えてくれている。
それは、私たちの心の拠り所であり、支えのようでさえある。

 毎年、夏ともなれば緑の大きい葉が店のガラス窓を縁取るように広がり、夏の陽ざしを和らげてくれ、いくつか実さえつける。その実は鳥たちのご馳走になる。
 
 冬、底冷えする奈良。
東大寺二月堂のお水取りが終わると、春をむかえる。
そして、この時期春日の山々から融風と呼ばれる優しい春の風が辺りを包み込み、土から虫たちが這い出し、水も緩む。
 その融風と呼ばれる春の風は冬中、枯れ枝のようになっていたぶどうの木、三省さんの木にも訪れてきて、新芽を呼び起こすようにささやきかけている。

 山尾三省さんは11年前亡くなった。
「自然法爾」と書きしるされた葉書が届いた夏であった。
「自然法爾じねんほうに」と読みます.仏教で人為を捨て、自ずからの姿に至ること。
人の一生はありのままの姿が善いと説明してくれた。

 町で無農薬の八百屋の原型を作り、その後、自らも畑を耕す百姓として、詩人として屋久島の廃村に移り住み、再び人の里をつくり、夥しい自然の只中に暮らし、人と自然との呼応の様を美しい言葉で謳いつづけた。その自然の様をある時は、私たちの前に厳しく立ちはだかる脅威として、また、恩恵としてのやさしい姿として伝えてくれた。
 さらに、うれしいことにここに「三省さんの木」と私たちが呼ぶ一本のぶどうの木があることだ。

 31年目の八百屋。
 ずいぶんと長い間続けてきたものだ。
毎朝、野菜を並べ、夕暮れに野菜をかたずけ、売れ残ったものを夕餉にいただく。
唯、それだけの日々のくりかえし。もちろん、それだけではないが。
 春に上着を脱ぎ
 目を細めて
 やわらかい陽をあび
 梅雨を越し
 夏につるの葉かげが陽ざしを和らげる
 その下で赤く熟したトマトをほおばり
 秋に新米のおにぎり
 枯れ葉が舞い
 落ち葉は美しいソナタを奏でる
 冬にうれしきもの一つ
 その夢を編む

 これまで31年の店で大根にしたら7万本あまり、じゃが芋にしたらざっと18トンあまりの産物を手渡してきたことになる。わずか5坪ほどの小さな店で5万とも6万とも思われる方々に出会って。
きたことになる。
 町に村を、村に町をと人と人が素手で付き合う、その橋渡しができたかと思うとたいへんうれしい限りである。

 30歳でこの奈良の地で始めた仕事。
今年で数え61、還暦である。
いのちはそれ自体有限である。70年代、80年代を風を切って走りぬけてきた。
今はずいぶんと年を重ね、旧知の者からの「旅立ち」の知らせも届く。
変わらない空なのにこの頃の夕暮れ紅い空に時代の重なる位相が帯のように動いているように思える。

 「ブログ、もしかしてタ・カ・ハ・シ君」
 「ひでさんのノリではないよね」
と常連の客が笑いながらやってきた。

 頭髪薄く、白髪きわたつ店主と老犬を尻目に店は桃色のペンキではちきれんばかり。
響き渡る声が道行く人々を振り向かせている。

「二代目」である。

いつもと変わらない朝夕の風景。時は止まらず動いている。
今はターニングポイント。
一つは思い出のときを刻み、一つは新しい時をきざみ始める。

 2001年山尾三省、2008年ナナオサカキ。2011年秋野イサム。
60年代、70年代のカウンターカルチャーを創ってきた者たちが次々と旅立っていった。
自然との心地よい関係のありようを実践し、体現してきた彼らの思想とも言える志は道となって次代の者たちの道しるべとなっていくだろう。

 先日,アキノイサム追悼展「イサムオンザロード~おれはここを歩く」(堺町画廊)の世話人をさせてもらった。ところが、展覧会を終始取り仕切ったのはイサムの子供ら、次代の者たちだった。

 「酒は一杯だけ」とかぬか(イサムの長女)。
僕らはそのたった一杯の酒に深く、心地よく酔った。
 6日間の会期、連日超満員。
久しぶりの者、初めて出会う者。世代は幅広く、ドレットのお兄さんから杖を携えての初老の者。
絵本の文庫活動をつづけている元気な女性軍。孫連れで再会する旧知の友。
 100年を越す古都の町家をギャラリーとしている堺町画廊。重層する時間と歴史のひだの分厚く
黒光りする太い梁の元で開かれた展示会。
自然との関係を独自の絵筆で表現してきたアキノイサムの絵が100年語りのように、次代の者たち
の心を響かせているみたいである。

 鳥は飛ぶ人間
 石は座っている人間
 木は立っている人間
 人は歩いている人間

 アミニズムの共生の宇宙観は今のいま輝き、鮮やかなイサムの岩絵の具でしっかりとその光りを放ち続けていくだろう。
 
 
 ここ八百屋ろは31年になる。
一日、一日を心おきなく暮して行く、そしてその時間の中から、失ってはならない脈々とつづいている生活の文化が必ずや受け継がれていくであろう。
 時間を切り刻んで、新しい時間を迎えていくのではなく、積み重なってきたたくさんの生活の営みの真のありようを学び得た上での新世代なのでしょう。

 山肌に陽が入る
 春の兆し
 ひとつ光り
 ふたつ光り
 陽が沈む
 春の兆し
 空から降りた星の果実
 雲間から陽が 
 山から風が
 むこうに雨
 よーく育てと
 思いを放て

三省さんがかけた看板をかけなおした。


高橋秀夫2012-4-20
 
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by hidesannno | 2012-04-19 22:01

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